〼べつに小説家になんて、

「私よりも先に小説家になってくれます?」

 

というタイトルで始めたこのブログ。自分は趣味で書いてるから、本当に小説家になりたい人のサポートに徹します、みたいなスタンスでやってきましたが、申し訳ございません。嘘をついていました。

 

 

私だって小説家になりたい!

 

 

だから皆さんが先に小説家になってしまったら、嬉しさよりも悔しさが勝るかもしれません。苦労して学んだ創作法だって、本当なら誰にも教えたくない。

 

でもそれは、競争に明け暮れる社会の働きアリたちの価値観と同じです。私たちは冒険アリでしょう?

たとえ群れを離れて野垂れ死ぬことになっても、可能性を追い求めなきゃ生きてることを実感できません。安全地帯では息ができない。

 

働きアリから見れば、サボってるだけのアリと同類に見えるかもしれませんが、私たちのほうが日々を全力で生きています。走り続けなければ、泳ぎ続けなければ、生きていけない生き物なのです。

 

小説家になるためには他人を蹴落とさなければいけない、ということはないはずです。

 

わかりやすい新人賞という社会が定めた価値を追い求めているようでは、楽しく創作に没頭することなんてできませんし、運良く賞を取れたとしても、その喜びは儚いものとなるでしょう。

 

いつも幸せでいるために、私は頑張ってきた自分を手放すことにしました。頑張ったところで幸せにはなれません。幸せだから頑張れるのです。もはや頑張るという感覚すらなく、楽しいからやっているだけ。以前よりは。

 

手放してみてようやくそういう心境になれたのに、まだ捨て切れていなかったようです。

 

 

私は小説家になりたい。

 

 

承認欲求なのか自己顕示欲なのか、そんなものを満たすことに意味はないと知りつつも、それを抑えることができません。見返したいとか認められたいとか、そんな煩悩を捨てることもできません。

 

社会的成功を収めることと、私たちの夢はイコールでは結べません。しかしプラスとマイナスでもありません。どちらも得られるなら、それに越したことはないでしょう。

 

ただ忘れてはいけないのは、社会的成功を収めることとがゴールではないということです。競争に勝つことが目的ではありません。小説家として生きることそれ自体に、価値があるのです。

 

しかし勝利に価値がないなら、誰も頑張ったりはしないでしょう。ベストを尽くせば負けても満足かと問われると、今はまだ即答できません。

 

楽しんでやっているだけだと嘯きつつも、私は頑張ることもやめられません。でなければ、夢中でやれるはずの創作に、方法論など用いたりはしないはずでしょう。

 

だから、ちょっと競争しませんか?

 

というわけで、ブログの新しいタイトルは

 

「私よりも先に小説家になれますか?」

 

これは皆さんへの挑戦です。勝利を目指しつつ、道中は楽しく切磋琢磨しながら走りましょう。

 

誰かがゴールテープを切ったそのとき、拍手で健闘を讃えられる自分になっていますように。

たとえ二位でもビリでも、夢中で走り続けられますように。

 

 

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