〼読書は勉強でも体育でもなくて

今週のお題は「読書の秋」です。秋に限らず本を読む皆さんでも、心浮き立つ季節ですね。

小説家を志していたらどうしても、勉強モードで読んでしまうときがあると思います。すでに読んだことのある小説ならそれでもいいんですけど、楽しみにしていた新刊までルーペで一文字ずつチェックしてるような読み方をしているな、と気づいたときはげんなりします。

学ぼうと意気込まなくても学ぶことは大いにあるので、まずは娯楽として楽しみたいんですよ。小説家志望の自分はお休みいただいて、ただの読者として、ファンとして、作品の世界に浸りたい。

そもそも何かしらを学び取ってやろうという下心があるときは、読書そのものに食指が動かないことがままあります。勉強、というハードルを勝手に設置してしまうせいで、飛びたくなくなるんですよね。

だから肩の力を抜いて読みたいんですけど、どうしてもルーペを取り出してしまう。


解決法はいくつかあるんですけど、私は最近、読書をご褒美としています。

自分の小説を書いて書いてくたくたになって、あーもう今日は何も考えたくないなー、となってから本を手に取る。

すると読書は健全な娯楽性を取り戻せます。学生時代に体育をサボって読んでいたときのような、純粋な逃避をもたらしてくれます。

ここの表現はうまいな、と思ってメモする余裕もないくらいに、小説の世界にのめり込む。至福の時間。

小説家を志すものとしては間違った姿勢なのかもしれませんが、私は好きなものを好きなままでいたいので、本との付き合い方を変えたくありません。


しかしまあ、やっぱり勉強になる部分はありますもんね。だからそういうときはもう一回読みます。べつに頭からではなく、気になった部分だけとか。余韻が残っているうちはしませんけど。そんな満腹なのにおかわりするような無粋な真似。

スイッチでもあればいいんですけどね。創作モードと読者モードを切り替えるような。
それか共存できればいい。創作視点の私と読者視点の私が肩を並べて読めるなら、一回で済むから時間節約になるんですけど。

読書が楽しみであることを忘れないように、ルーペもペンもひとまず置いて、手ぶらで本棚へ向かいましょう。もちろんハードルも取っ払って。

ただ好きだから夢中でページをめくっていた、あのころの私のままで。