〼誇張法は本当の嘘

誇張法を用いずに一つの物語を書き上げるのは不可能である。

というのは誇張ですが、これは結構ありふれたレトリックです。

例えば一日千秋なんて、一日を千日、いえ、秋が一年の換喩ならば、一日を千年に感じるということです。これは明らかな誇張であり、詐欺師も舌を巻くほどの大嘘でしょう。

海のように広い心、なんてありふれた表現も、私たちは当たり前のように享受してますが、これだって大げさです。しかし「よくも騙したな嘘つきめ」と腹を立てる人はほとんどいません。

それは誇張法が嘘でありながら、真実をわかりやすく伝える手助けをしているからに他なりません。

単に話を盛るのは嘘ですが、あえて誇張することで心情を加味することができるのです。

あなたが上司や先生や母親に叱られたとき、愚痴を聞いてもらう相手には思い切り同情してほしいわけですから、やれ雷を落としただの、鬼の首をとっただの、重箱の隅をつつくだの、ありとあらゆる誇張を用いるはずです。

それが事実をありのままに、声量は何デシベルで、こういう論法で、計〇〇回も同じ点を指摘された、などと述べれば、(それはそれで生々しく伝わるかもしれませんが)やや回りくどい上に、感情の温度がうまく伝わらず、冷ややかな反応しか得られない恐れがあります。


実際よりも大きく言うだけではなく、小さく言うことも誇張法に分類されます。

雀の涙ほどの〜とかですね。雀の涙なんて一円玉にも満たないのではないでしょうか。人間が泣いたって、涙を1gためるのは一苦労でしょう。1リットルとか滝のような涙なんて、ロバート・ワドローでも無理です。まず彼を泣かせようと思っても、玉ねぎのみじん切り攻撃は、顔に届く前に風にさらわれてしまいます。(世界一身長の高い人です、誇張じゃないよ)


誇張法を乱用しすぎるのも考えものですけどね。この記事にも誇張表現が百個くらい織り交ぜられてますが、鼻につくでしょう?


まあ、このブログの読者様は海のように広い心の持ち主ばかりなので、適当なことを書いても星をつけブクマをしランキングバナーを押して温かいコメントを書いてくださることでしょう。一日千秋の思いでお待ちしております。