なりたいけど書きたくない!

小説家になりたいけど、書きたくない私が、どうすれば書き続けられるのかを模索していくブログ。

〼世界一文章のうまいイケメン

才能はお金のあるところに集まります。漫画やアニメ、ゲームの勢いはとっくに小説をしのいでいます。ブログにしたって、動画投稿サイトのあおりを食らっているかもしれません。素人な上に新参者なので断定はできませんけど。

とすると、文章は画像や映像に劣るのでしょうか。

そうでないことは本が大好きな皆さんなら重々承知ですよね。


一般的な見解では、

映像>画像>音楽>小説>詩

みたいな順序でしょうか。それは概ね正しいと思います。

大なり小なりで表すから優劣があるように見えてしまうのですが、これは単に余白の多さの違いです。上記の並べ方だと、左がより直接的で、右に向かうほど想像力に委ねる部分が大きくなっていきます。

映像は誰が見ても受け取る情報にあまり差はありません。例外的に登場人物のバックボーンや舞台裏や世界観を思い浮かべる想像力の豊かな受け手もいますが、そんな彼らにしたって目や耳から入ってくるファーストインプレッションは、他の人とほぼ共通しているはずです。

画像はわかりやすいものもあれば、印象派の名画などの難解なものもありますね。想像の余地の大きさで言えば、しばしば音楽と順序が入れ替わったり、詩レベルのとらえどころの無い絵まで様々です。

音楽にも同じことが言えますね。というより創作表現においては例外がない方が珍しいです。


さて問題の小説ですが、これは読者の想像力に委ねる部分が大きくなりがちです。身も蓋もない言い方をすれば、ただの文字の羅列ですから。

文章は読み手の想像力を求めるため、わかりやすくインスタントな娯楽を好む人々からは敬遠されます。ぱっと見て、「いいね!」と共感を得られることに喜びを見出す人々は声が大きく数も多いです。ひとりひとりで感じ方が違う、なんて思想は受け入れられません。

「みんな違ってみんないい」という有名なスローガンは、みんなが唱えているから是とされているのであって、逆説的ですが結局は「みんな一緒だからいい」なんですよね。

一部の作家が高尚ぶるのもよろしくないです。いいね派からすれば小説がますます異物に見えるし、私たちからしたって好ましい振る舞いとは思えない。そりゃ廃りもします。

しかし想像の世界にどっぷり浸る楽しみを見いだしてしまった人々の需要は一定数あるので、小説が消え去るなんてことはないでしょう。


たとえば世界一かっこいい男は文章の中にしか存在し得ません。なぜならそんな男は各々の頭の中にしかいないからです。例えば誰もが讃えるイケメン俳優の写真を見せても、世界一かと問われれば首を傾げる人もいるでしょう。

その点文章なら、世界一の男、と書くだけで、読者が勝手に想像してくれます。百人いれば百人がそれぞれの脳内に超絶イケメンを思い浮かべることでしょう。

それこそが文章の力です。というか、読み手の想像力のなせる技ですかね。

絶景、という漢字二文字で思い浮かべる景色がみんな違っていいんです。みんな違ってみんないい、ってことです。

小説には小説でしか表現できないことがありますから、他の表現と比べて劣ってるとか勝ってるとか、そんな優劣はありません。

もし例外だらけの創造の世界で優劣をつけられるとするなら、作品単位でしかありえない。私たちは作品で勝負するしかないんですよ。

小説はオワコンかも、なんて悩んでないで、あなたが好きになった文章の力を信じましょう。