なりたいけど書きたくない!

小説家になりたいけど、書きたくない私が、どうすれば書き続けられるのかを模索していくブログ。

〼全知全能の私ならば

自分の実力を過信する、って前回の話の続きですけど、人は基本的に自分はやればできる、しかも安全安心ハッピーに暮らしていけると錯覚しているものです。

あんな事件こんな事件、耳には入ってるはずなのに、まさか我が身に振りかかるとは想像だにしていません。無論、私だって明日も明後日も十年後も百年後ものんきに生きてるだろうなと思っています。

小説の話で言うと、そういう人は締め切りを守れません。いつでもやればできると思ってるから、いつまで経ってもやらない。8月32日になってようやく宿題と向き合う始末。それで宿題がなんとか期限までに仕上がったとしても、内容は身についてない。テストはボロボロ。

いやいや、私に限ってそんなことはないさ。と思う人こそ要注意です。都合のいいバイアスがかかってます。


まあ、そんな絶望を突きつけるような話ばかりしててもしょうがないので、対策を立てましょう。

以前に話した抽象化と具体化のテクニックがここでも役に立ちます。

たとえば「小説を書く」というのがやるべきことだとしましょう。新年の誓いは「小説を書く」に決定。書き初めして、額縁に入れて、いたるところに「小説を書く」と刻んだとします。

しかしそれは叶わぬ願い。なぜなら脳にとっては「小説を書く」では抽象的すぎるからです。

せいぜい「小説を書く」という文面を見て脳が起こす反応は、いい気分にさせるか焦らせるかで、行動には結びつけてくれません。

じゃあもうちょっと具体的に、「新人賞までに小説を書く」だとどうでしょう。はい、まだ弱いですね。最初の一週間で宿題を終わらせるぞと誓った小学生たちがいったい何人、夏休みの最終日に泣きながら必死に答えを書き写したことか。

もっともっと具体的にしてくれないと、脳はそれをただの「決意のようなもの」としか受け取ってくれず、自動的にプランを練ってくれることなど永久にありません。

じゃあ「一日○○ページ書く」と。いい線いってますね。しかしまだ弱い。もっともっともっと具体的にできるはずです。ちょっと説明的すぎるんじゃないかと心配になるくらい描写してくれないと、脳はそれを正しくタスクとして処理してくれません。

起床して、歯磨き洗顔、どてらを着て温かスリッパを履いて、ポメラを開いて、メモ帳に開始時刻を書き込んで、タイマーを押して書き始める。十五分四分のサイクルで四セット。

これくらいスケジューリングして初めて、できる可能性がちょっとは出てきます。

己の力を過信する人は、ざっくりとしか計画を立てられない。今の自分はもちろん、過去の自分、未来の自分も過信しています。あの時こうだったからこの方法でうまく行く。今はできないけど未来の自分ならきっとやってくれるはず。

我ながら耳が痛い。そうやって過去の楽観的な自分がやり残した宿題を、今やらなきゃならないわけですよ。思い描いた別人のような未来の私ではなく、私の延長でしかない私自身が。とはいえ過去に戻って自分に鞭打つわけにもいかない。

もう2019年ですよ。新人賞に送る人はそろそろ焦っているのではないでしょうか。それともまだまだ余裕さとあぐらをかいているか。

どちらにせよ、納得のいく作品を応募していただきたいものです。


私ですか?

ははは、こんな記事を書いてる時点でお察しください。とりあえず、小説を書く。