なりたいけど書きたくない!

小説家になりたいけど、書きたくない私が、どうすれば書き続けられるのかを模索していくブログ。

〼まんまと「Free!」の名前考察をしてしまう

前置きしておきます。今回の記事は読まなくてもいいです。というより、読まないほうがいい。

理由としては、このブログの趣旨から大きく外れていることともうひとつ、私の気持ちの悪い面がふんだんに盛り込まれているからです。

まあ、最近見始めたアニメの話です。

Free!という作品をご存知ですか。はい、このタイトルを聞いてガタッと椅子を鳴らさなかった方は、ブラウザを閉じたほうが懸命です。

この前まで水泳部の話を書いてたので、気になってたんですよね。でもまあ、余計な影響を受けてはいけないと思い、封印してました。

もっと早く見ておけばよかった(´・ω・`)

当然のことながら、水泳に関する知識量が違います。ディティールも凝ってる。

しかし今回話したいのはそのことではありません。

また前置きしておきたいのですが、私は腐ってはいないと自称するゾンビのような人間なので、腐臭が漂ってきたら逃げてください。

さて、以前私はキャラクターの名前に意味をもたせることが嫌いだと言いました。

だって、登場人物の名前の意味を読者がわざわざ考えてくれるとは思えませんし、作中で説明するのは寒いですし。作者のエゴの塊です。

しかしですよ、「Free!」については話が別です。


主要登場人物は五人。七瀬遙。松岡凛。橘真琴。葉月渚。竜ヶ崎怜。

みんなについて語りたいところですが、長くなるので今回は遙と凛に焦点を当てましょう。


まず作中で引っかかったのが、やたらと名前に関する言及が多いことです。みんな男なのに女の子のような名前だとか、ちゃんづけはやめろとか、女子マネージャーの松岡江は「ごう」と読む名前を男みたいだから「こう」と呼ばせたり。さも名前に重要な意味がありますよと言わんばかりの。まるで考察をうながすような。

もうひとつ違和感があったのは、全員がガラケーという点です。これは同様に疑問に思った方も多かったらしく、調べてみると機種の発売年数から、2008年ごろの話なのではないかという考察があげられていました。

しかしそこで名探偵ちひろさんは「おや?」と思ったわけですよ。調べてみると案の定、「遙」も「凛」も、人名に使用可能になったのは2004年からなのです。だとすると彼らは4歳以下でないとおかしい。ちなみに二人ともピチピチの高校生です。

まあ、所詮創作物だし、と片付けてしまうこともできるのですが、ここまで緻密に世界観やストーリーを作りこんであるのに、そんなミスをおかすでしょうか。

もしかしたら、あえてそうしているのではないか。この謎を解き明かさなくては、私は前に進めない!


というわけで、まずは松岡凛こと、リンちゃんから考えていきましょう。

「凛」という漢字には、冷たい、厳しい、激しい、心が引き締まる様子、といったような意味があります。人名においては、ストイックで妥協を許さないという性格を表しています。

確かに凛はクールでストイックですが、幼い頃からそうではありませんでした。小学生時代はむしろ明るく活発。

これも漢字の成り立ちから説明できます。凛という漢字は米倉の横に氷を置いて冷やしている様子から作られました。米倉という豊かな感情を冷やしている氷は、ライバルである遙、もしくは夢半ばに亡くなってしまった父を象徴しているのかもしれません。

凛ちゃんはつねに追いかけるがゆえに、クールでストイックなのでしょう。

ふりつもる み雪にたへて 色かへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ

という凛を表す有名な御製がありますが、作中における彼の立ち位置は厳しいものの、その芯が損なわれることはありません。松岡って苗字は、ここからとったりしてないかなあ。考え過ぎか。

あと凛の字でもうひとつ気になるのが、これが新字体だという点です。旧字体の凜なら、人名に使えるようになったのは1990年なので、年齢に齟齬がなくなるのに、あえて新字体の凛にしている。名付けの段階で凜にする案もあがっていたはず。なぜ。


それはいったん置いておいて、次は七瀬遙ことハルちゃんについて。

遙という漢字には、壮大、スケールが大きい、自由といった意味が込められており、まさに彼にピッタリの名前です。

ここで注目していただきたいのは、彼の名前の「遙」は旧字体であるという点です。ちなみに新字体は「遥」です。まあ、単に字面がかっこいいからなのかもしれませんが、凛のことを考えると、新字体に統一しておいたほうがスマートに思えます。

遙という漢字も人名に使えるようになったのは2004年から。こっちは逆に新字体である「遥」のほうが先に使えるようになっています。

新字体の「凛」と旧字体の「遙」

ね。なにか作為が感じられるでしょう。

タイムや競争にこだわらず自由に泳ぎたい遙に対して、凛は勝負を持ちかけ、敗れます。そして水泳を辞めると口にした凛に責任を感じ、遙も水泳を離れることになります。

再会した凛はふたたび遙に勝負を挑み、アイツを超えないと俺は先に進めない、と過去にとらわれているような発言をします。しかし彼が見据えているのはオリンピック選手になるという未来だけ。その軸はちっともブレていません。

逆に過去にとらわれているのは遙のほうなのではないでしょうか。自由に泳げたあの頃、という過去しか見ていない。今後水泳を続けてどうなりたいのかとか、そういったことに関しては無関心です。


新字体の「凛」旧字体の「遙」どちらもFreeの時間軸では使用できない漢字。

二人ともそのままでは存在できないのです。凛は過去を受け入れることによって、遙は未来に目を向けることによって、初めてこの世界で息ができるのです。つまりお互いがいなければ完全にはなれない。なんて計算され尽くしたライバル関係なのでしょう。

凛は旧字体の「凜」になると、天から授かる、上からの命令を受ける、といった意味が付加されます。過去を乗り越えることで先に進めるという凛の感覚は、間違ってはいないのでしょう。きっといつかオリンピックという天命を賜る宿命にあるのです。

遙は新字体の「遥」になることによってどう変わるかというと、多少強引なこじつけですが、逍遥自明という、自由に楽しむことを表す四字熟語には新字のほうが使われているので、本当の自由を得られるということでしょうか。

遙には、距離や時間的な隔たりを表す意味もあります。自由になった遙はみんなの元を離れてしまうのではないかと私なんかは不安になるわけですが、その行く先はきっと七瀬という苗字が示すように、七つの瀬、川を海に置き換えて七つの海、つまり世界になるに違いありません。


そんなこんなで考察というより妄想や願望を満載してお届けした今回の記事ですが、これっきりにしますのでお許しくださいませ。素晴らしい筋肉、もとい作品に触れて柄にもなく興奮してしまったもので。


というわけで最後にもうひとつだけ。


遙、凛、真琴、渚、怜、と五人いますが、ぱっと見ただけでも違和感に気づくでしょう。

そうです。真琴だけ二文字なんですよ。「まこと」なら「真」一文字でそう読めるはずなのに。

なぜ琴を付け足したのか、というより、逆に「琴」に真を付け足したのではないか。琴という一文字の名前だと、十二画で凶らしいので。マコちゃんは本当はコトちゃんだった、というトンデモ理論。

真という漢字の成り立ちはスプーンと器、満たされた容器から、素直で誠実で嘘偽りなくひたむき、というイメージが連想されます。

一方「琴」は、まあ楽器ですね。それ以上の意味はありません。形状で考えると、空洞によって綺麗な音色を奏でるという、真と対比になっているようでいて、どちらも彼の懐の深さを表していますね。

あと、これはこじつけかもしれませんが、「琴」という字の王二つは、遙と凛を指しているのではないでしょうか。

真琴はみんなには包容力のある優しい「真」の面で接していますが、こと彼ら二人に対しては「琴」として、過去や未来に囚われた王たちを今につなぎとめる役割を果たしているのかもしれません。満たすことの許されない空洞を奏でるために。

だからこそ彼はあの転校を告げるシーンでも彼らのそばで仲立ちをし、凛に挑む遙を見送るときは、切ない表情を浮かべながらも「勝ってこいよ」と見送ったのでしょう。ちょっと尊すぎやしませんか。


まあ、私はまだ十話までしか見てないんですけどね。早く続きが見たい。


無理やりブログの趣旨に沿わせるとしたら、勝算があるなら、凝った名付けもいいんじゃないかな、ってところでしょうか。

以上、Free!にわかの名前考察でした。