〼迸る黄金色のアーチとおっぱい

官能表現を書くときに、私は筆が止まる。ブレーキがかかる。性教育の変遷期に生まれ、しかもネットという最強の独学環境が整っていたせいで、適切な距離感がわからない。

目をそらして遠ざけるか、息がかかるくらい肉薄するか。


私が最初に官能に触れたのは、ネットではなく雑誌でした。文章よりも写真がメインだったけど、強く印象に残っているのはその一文。

「迸る黄金色のアーチ」

は? と思った。

写真は目線の入った男に後ろから開脚で抱えられた目線の入った女が放尿している素人投稿露出写真だった。あまりの衝撃に少し気持ちが悪くなりつつも、私は目をそらせなかった。

「迸る黄金色のアーチ」

いやいや、なんでかっこよく言ってるのさ。外でおしっこしてるだけじゃん。


そういった表現は、官能小説で度々見かける。というと私が官能小説の熱心な読者みたいだけど、そんなことはなく、ただの推測というか一般論というかステレオタイプというか、とにかく私は何もわからない。蜜壺と言われてもプーさんしか思い浮かばない。

しかしその回りくどい表現こそが、官能への適切な距離なのかもしれない。

読者の立場で言えば、冒頭でいきなり全裸の美女なんてエロくもなんともない。想像力をかきたてる余地が、そこにはない。いや、なんで全裸なのかとか考え始めると悶々とするけども。

その遠まわしすぎる比喩は、スカートやタイツの役割を果たしているのでしょう。そこに秘められたエロスに、読者は官能を見るのです。比喩を解読することは、スカートを覗くことであり、タイツを引き裂くことに通ずるのです。文学的チラリズム&脱衣。

おっぱいを揉んだ。では直接的すぎるのか。セックスした。はあ、さようですか。


だけど私はやっぱり距離感がわからないから、ぼかした表現をすると本当に何を書いてるのかわからなくなるし、ストレートに書こうとすると頭の悪い文章になってしまう。

私は幼い頃に例の露出写真を見たときの気持ち悪さを、ぜひ読者にも味わってもらいたい。世界観が揺らぎすぎて船酔いをするような体験をしていただきたい。

でもなあ、やっぱり官能表現には抵抗があります。どんなに難解な比喩の衣を張り巡らせても、私をさらけ出しすぎてる気がする。一度ブレーキから手を離してしまうと、衝突するまで引けなくなってしまう。


ところで、私はご周知の通りおっぱいが好きなんですけど、おっぱいはどう表現するのが適切ですか。私にとってはおっぱいはそれ以外の表現が受け入れ難いくらいに、完膚なきまでにおっぱいなのですが。みなさんはどうお考えですか。

ほら、頭の悪い文章になってしまう。

ただひとつ言っておきたいのは、「迸る黄金色のアーチ」も、だいぶ頭の悪い表現だということです。まったくもって官能は難しい。