もりすの巣

そこにすべてのことが書かれています

かまぼこ

ちょっと深刻な話をしてもいいですか。

私自身あまりそういう話は得意ではないし、書くのも読むのもできれば避けたいのですけど、いつまでも見て見ぬ振りはしていられません。この話をしないことには、私はいつまで経っても何も書けない。越えねばならない壁なのです。

幼少期を過ごしたこの海辺の町には、少し変わった風習があります。それがどれほど異質なのか、それとも普通のことなのか、世間知らずの私にはなんとも判断がつきません。

かまぼこ、という食べ物をご存じでしょうか。きっと日本人なら誰でも知っていると思います。そのなかなかに特徴的なネーミングを忘れ去ることは難しいでしょう。望むと望まざるとに関わらず、タピオカを知ってしまった者が生涯タピオカの四文字を忘れることがないように。


さて、かまぼこという四文字から、あなたは何を思い浮かべましたか。

質問が悪かったですね。かまぼこを思い浮かべたに決まっているだろ、と突っ込まれそうです。では、それはどんな形状ですか。色は。大きさは。触り心地は。

おそらくあなたの頭の中にあるかまぼこは、私の頭の中のかまぼことは似ても似つかないはずです。かまぼこという四文字を見て、「ああ、かまぼこね」とうなずき合う私たちの間には、じつは大きな隔たりがあるのです。

あなたのかまぼこに対するイメージを、私が正確に言い当てるのは不可能に近い。逆もまた然りですが、それでもこちらに分があるのもまた事実でしょう。よりマイノリティーな側に立つ方が、共通認識に関しては敏感なものです。しばしば少数派が「普通」というものに反感と羨望の入り交じった視線を向けてしまうように、私もまた、あなたのかまぼこを見つめているのです。うらやましさと、そして幾分かの優越感を込めた目で。


気分を悪くしたのならすみません。温かいお茶でも飲んで休憩しましょう。この湯飲み、私が作ったものなんですよ。この辺りにはそういった工芸品を作れる施設が充実してるんです。主に観光客向けなんですけど、私なんてまあ、どこにいたってよそ者みたいなものですからね。

ああ、そうだ。冷蔵庫にちょうどかまぼこがあったんだ。しばらくお待ちくださいませ。

――はい、かまぼこです。

驚いたでしょう。あなたが思い描いていた「かまぼこ」は、このテーブルのどこにもないのですから。だけど安心してください。味はあなたの知っているかまぼことそんなに変わらないはずです。ただ、ちょっぴり歯ごたえは強いかもしれませんね。

あなたの頭の中のかまぼこは、もしかしてこんな形だったのではありませんか。

長方形の板の上に隙間なく、半円の魚のすり身がのっている。板はささくれもなくすっきりと磨かれた肌色の木目で、厚さは人差し指ほど、幅は大人の男性の手のひら程度でしょうか。かまぼこ板、と呼ばれているものです。

魚のすり身、と言っていいのでしょうか。加工されて固められたその断面は、白くてつやつやしていますね。人工物と自然物のちょうど中間みたいな、そんな白です。にじみ出る水分のせいか、触るとちょっぴり冷たいですね。

円柱を半分にカットした形、なんて言うんですか。かまぼこ型、と言ってしまえれば楽なんですけど、そういうわけにもいきませんし……ほら、いちばん面積の小さい側面から見たら、かまぼこ板の上に乗ったそれは、ドーム状? アーチ状? とにかく丸く盛り上がった形をしていますよね。

さて、ここで問題です。かまぼこの円の外周、ドームに例えるなら屋根に当たる部分は、どんな色をしているでしょうか。

赤。ピンク。黒。へえ、黄色。

ここも意見が分かれるところですね。そういえば、屋根になっている部分が建物内部にまで侵食して、ぐるぐる巻きになってるかまぼこもあるんですよ。ナルトみたいな渦巻き模様。ちなみに黒は昆布です。黄色は、なんでしょう、うーん、あれも昆布かな。あら珍しい、と少し得した気分にはなるんですけど、印象も味も薄いですよね。

かまぼこは冷たいのがおいしい。そのままでも白身魚のほのかな旨味がしみ出してきますし、わさび醤油をちょちょっとつければ、うん、お酒がすすむ。日本酒が合います。

もちろん炙ってもおいしいですよ。少し焦げ目がついたぶん、魚の風味が濃くなって、味も香りも際立ちます。こっちはビールが合いそうですね。

余談ですが、笹の葉の形をした、いわゆる笹かまだって立派なかまぼこですよね。表面が少しでこぼこしていて、食感も楽しい絶品です。バーナーとかで焼いたらああなるのかな。

チーズかまぼこ、なんてのも見たことありますよ。あれ、かまぼこチーズだったかも。まあいいや。ちくわ状のかまぼこに、チーズが詰めてあるんです。いわゆる、おいしいに決まっているやつ。あれはチューハイが合うんじゃないかしら。一人でちまちまやるときよりも、大勢で囲む卓にこっそり座っていてほしい名脇役ですね。


はい。そんなことより、さっき私が持ってきたこれはなんなのか、と。

うーん。かまぼこ、なんですけどね、一応。見たことくらいはありませんか?

そう、鯛です。鯛の形をしてるんです。びっくりですよね。鯛の形を模したかまぼこに、鯛に見えるように着色が施してあるんです。赤、白、黄色。ほら、目玉もあるし、うろこも尻尾の筋も細かく描かれているでしょう。

それに、この大きさ。ちょっとしたノートパソコンくらいのサイズ感です。重さも匹敵するどころか、身が詰まってる分こっちの方が重いかも。実物の鯛には敵いませんけど。


鯛は縁起のいい生き物です。ここらでは祝いの席には欠かせないお魚です。めでたい、っていう駄洒落にそれほどの市民権が与えられて代々伝えられてきたのは、しょうもないからこその畏敬の念を感じますね。大昔からこの世界は冗談みたいな感じでのんきに続いてる。そう思うと安心します。めでたいの「たい」が鯛とかかっていることに、誰もが人生で一度は気づいて、ふーんと思う世界。しかもそれをかまぼこにしている謎の習慣。


まあ、意味も理由もなくはないです。くだるくだらないはともかくとして。

鯛はめでたい魚ですが、日持ちはしません。お祝いの席では振る舞えても、駆けつけられなかった親族、近所の方々、普段からお世話になっている人々とは分かち合えません。鯛を送っても腐ってしまう。大変もったいない。たいたい。

そこで、鯛の代わりに鯛っぽく加工したかまぼこを使えばいいじゃん。と思いついたのがこの奇妙な風習の始まりです。かまぼこなら日持ちもするし、もともと魚だし、加工も簡単だ。おめで「たい」と鯛の駄洒落を廃れさすまいと、彼らはかまぼこというキャンパスに鯛を描いたのです。努力の方向性のおかしさに誰ひとり疑問を差し挟むこともなく。

親戚の家に行くと、当たり前のようにこの鯛のかまぼこがありました。大きすぎて入らないから、冬なら涼しい廊下に放置されていたり。端から切られた無残な姿でラップにくるまれ、冷蔵庫の天井をうつろな瞳で見上げていたり。残り少なくなったところを手づかみで頭から囓られたり。

やけにテカテカとした着色と無感情なその鯛の表情が、私にとってのめでたさの象徴です。ほえー、と感心した直後に、はえー、と少し引いてしまう感じ。ああ、おめでたいですね、と静かに確認して、静かに納得してしまう。


小学生のころの話です。母方の実家は新しめの日本家屋で、玄関は二段ほど高く、続く廊下はそのせいか風通りがよく、冬の早朝ともなれば、足裏を刺す冷たさはフローリングというより鉄のようでした。

その廊下の隅のほうに、店名の入った黄色いプラスチックの箱に横たえられたまま、鯛のかまぼこが保存されていました。

鯛のかまぼこには真空のパックが施されて、まだ誰も起きてこない明け方の空気の中で、ぴちっと動かずにじっとしていました。廊下には昨夜のお酒のにおいが漂い、ふすまの奥からは親戚一同の鼾が聞こえ、私はといえば冷たい廊下につま先立ちになって震えながら、用を足してきたところでした。

ふと、気になって鯛のかまぼこに触れてみたのです。もちろん手も洗ってきたし、フィルムで密閉されているようだから大丈夫だろうと。最初は人差し指でつんと、それから手のひらでぱんと、でこぼことしたうろこの部分をなでてみたり、尻尾の先をぐにぐに押してみたりしました。

そのときです。鯛の黒目がぎょろりとこちらを向いたのは。私は息を呑み、触れていた手を離して、ひんやりと残るかまぼこの冷気を服で拭いました。黒目はすでに白目の中心におさまっていましたが、私が見つめている間中ずっと、確かにこちらを観察していました。

そのことは誰にも言わなかったか、言っても信じてもらえなかったのでしょう。私はすっかりそんな怪奇現象は忘れて、のんきな大人になっていました。トラウマでかまぼこが食べられなくなったということもなく、くだんの鯛のかまぼこさえ、おいしく無頓着にいただいた記憶があります。


それも寒い冬の日の話でした。がたがたと吹雪に震える暗い窓を眺めながら、暖かな飲みの席の末端に腰を下ろしていた私は、何気なく口に入れたかまぼこの味に懐かしさを覚えました。そこで、くだらない話ではありますが、一夜のささやかな酒の肴にでもなればと、幼いころの恐怖体験をぽつぽつと語り出したのです。

そこで私が犯したミスは、おおよそ見当がつくでしょう。端的に言えば共通認識の欠如。つまり、私はそのころもまだ世間一般的に「かまぼこ」と言えば、あの鯛の形のかまぼこを指していると思い込んでいたのです。

みんなの頭に浮かんでいるのが、かまぼこ板にのった半円のオーソドックスなかまぼこであるとはつゆ知らず、私はかまぼこの黒目が動いて見つめられたという話を、ディティールをかなり端折ってさりげなく打ち明けたのです。

罪のない冗談か、うまくいけばぞっとする話として受け取られるとばかり思っていたのに、返ってきたのは素朴な疑問でした。

かまぼこと目が合うってどういうこと?


そこで初めて私は、鯛のかまぼこがローカルネタだと知ったのです。ショックでした。おめでたいと鯛がかかっていることは誰もが承知しているにもかかわらず、「じゃあかまぼこを鯛っぽくしようぜ」と考えて実行に移して脈々と受け継いできたのが、私たちだけだったなんて。

鯛が腐るならしょうがないじゃん、と分別を持った方々の子孫を前に、私は穴があったら入りたい気分でした。鯛の代用にかまぼこを据える狂った発想の民の末裔が、私なのです。私はこの因果を断ち切らねばならない。それこそが、鯛のかまぼこにその黒い瞳でみとめられた私の使命なのです。

つい熱くなってしまいました。だけどまあ、話せてよかったです。ご心配なさらずとも、私の中にはまだあのかまぼこのひんやりとした感触が残っています。そしてのんきで狂ったおめでたい人々の血も。

正解や正論で殴り合うこの世界で、私がなにを成すべきなのか。その答えはきっと、鯛のかまぼこの黒目の中にあるのでしょうね。