もりすの巣

そこにすべてのことが書かれています

木工ボンド

しんみりとした夜の言い訳に、少しだけお話しさせてください。まんざらあなたにも無関係な話ではないかもしれませんし。

取り返しのつかない記憶を振り返る時、私はいつもあの裏庭の光景を思い出します。歳月を重ねるごとに後悔は薄らいでゆくけれど、郷愁はしだいにその濃さを増して、温かくも重たい掛け布団のようにのしかかってくる。心地よさと息苦しさの狭間で、しばし呆然としてしまう。あの痛みを思い出せないことが、私にはひどい裏切りに思えてしまうこともあれば、救いに感じることもあります。


中学一年の春。まだ小学生気分も抜けきっていない私は、自宅の庭で戦車を作っていました。

洗車していた、の書き間違いではなく、戦車を作っていたのです。大砲とキャタピラでおなじみの、あの戦車です。

今でも鮮明に覚えているのは、首輪のロープをぎりぎりまで伸ばして邪魔をしてきた犬のホロと、石ですりつぶした雑草の青臭さ、そして木工ボンドのつんとすり抜ける白いにおい。

当時、うちは料理屋でした。一階がお店で、二階が家族の居住スペース。庭には離れの座敷があって、そこに寄り添うようにホロの犬小屋、そして裏には物置がありました。離れの壁と、隣家のコンクリート塀に挟まれた日の当たらない裏庭で、私は黙々と作業に取り組んでいました。

体育でも数えるほどしか着ていない長袖ジャージに身を包み、漬物石を支点にした流木を運動靴で踏みつけ、せっせとのこぎりを引く女子中学生。誰に強制されているわけでもない仕事に私はいい汗を流し、その姿を弟が物置の入り口に腰掛けて漫画を読みながら、ホロがのこぎりの音に反応して吠えながら、とくに応援するでもなく見守っていました。


材料の流木は、アルバイトのお兄さんと軽トラで海に出かけた時に拾ってきたものです。最初はおしとやかに貝殻を拾っていたのですが、流木の山を発見した我々は急遽作戦を変更し、せっかく荷台があいているのだからと流木を運びはじめたのです。

うちで働いてる時同様にてきぱきと、お兄さんはたくましい肩に担いだ流木を荷台に放り込んでいきました。私はむしろ妨害するように流木にしがみつき、そのくせ現場監督のように指揮を執りながら、そこでもいい汗かいてました。

困ったのがその使い道です。ほとんどはお兄さんの責任で海に返してくることになったのですが、私がどうしてもと食い下がったために、我が家の庭には数本の流木が残りました。いったい何を考えていたのか、そもそもどうして流木なんか集めていたのか、今となっては理解に苦しみます。しかし当時の私は真剣に、手に入れた資源の活用法に頭を悩ませました。

ホロの犬小屋を拡張するか、おしゃれなベンチとして使うか、木彫りの仏像でも作ってみるか。

――そうだ、戦車にしよう。

あえてその突飛な思考回路を推察するなら、おそらくその時ハマっていたゲームに影響されたのでしょう。私はどのゲームでも、重戦車や重装備や重力魔法、とにかく「重」とつくものに惹かれがちです。ガチムチ鎧の強そうなキャラが四天王ではあっけなく倒される二番手に据えられがちなのは、いまだに納得がいきません。強キャラほど軽装備で盾すら持っていない。

そんな薄っぺらどもを吹っ飛ばすために、私はいざ、戦車製造に取り組みました。

しかし技術も道具も持ち合わせていない私が頼れるのは、木工ボンドだけだったのです。


ごめんなさい。こんな話、あなたにはなんの関係もないのに。あなたの優しさに甘えて、ここで話を打ち切ってしまうのも悪くないかも。

こんな夜は――いえ、こんな夜だからこそ、でしたね。かさぶたもすっかり剥がれて、痣すら薄れて消えた傷痕でも、触れるには勇気がいります。どうか躊躇ってしまうことをご容赦ください。

さて、パーツの切り分けは思いのほか順調に進みました。とくに大砲は力作で、いまにも砲撃を開始して、ホロの犬小屋を吹き飛ばさんばかりの威容でした。キャタピラは、まあ、多少がたついてはいましたが、むしろ悪路に適した機能性を備えていました。

クイズ形式で完成形を予想させていた弟はいまだ正解にたどり着けず、そもそもちゃんと考えているのか定かではない態度でしたが、それもパーツを組み立てるまでの話。

ところで木工ボンドというものは、いったいどういった仕組みで物体同士をくっつけるのか。抽象的な説明で恐縮ですが、わかりやすく言うなら、濡らしたところが固まることによって、面と面がくっつくのです。そしてその力は、接着面の状態に大きく依存します。表面がでこぼこだったり汚れていたりすると、本領が発揮できない。たちまち「重」に負けてしまいます。

そんな知恵もない小娘の私は、爪で引っ掻いたら表皮がぽろぽろ剥がれそうな流木Aにボンドを塗りたくり、見てるだけで崩壊しそうな流木Bにボンドを塗りたくり、ほいっと接着面を合わせました。

当然ながらA+B=ABとはならず、流木Aと流木Bは軽く挨拶程度のハグを済ますと、じゃあねと後腐れなく背を向けました。その背には木屑のついた白いボンドがべっとり。欧米か。いや、欧米ですらないわ。

何度やっても結果は同じ。木と木をくっつけ、離して、くっつけ、離して、首を傾げる。さながら私は知能実験をされているサルです。弟は知能実験をされているサルを哀れむような目で、こちらを見つめていました。

弟がいまや二児の父となり、私がいまだモンハンではランス一択の重装歩兵のままなのは、そのことと無関係ではないでしょう。


いくら悔やんでも過去は変えられない。だけど、せめてあのとき流木を紙ヤスリで磨くくらいの知恵が私にあったなら、もう少し違う人生を歩めていたのかもしれません。

無駄に切り分けられたあげく、物置の裏に放置されて風雨にさらされた流木の残骸は、いつしか苔に覆われていました。まるで人類滅亡後の崩壊した世界で、動物たちが幸せに暮らす草原の傍らに打ち捨てられた戦車のように、苔にまみれた流木は儚い悠久をたたえていました。

夏草や、つわものどもが、夢のあと。

すっかり乾いて固まって透明になってしまっていても、ふとした瞬間に鼻腔をすり抜ける木工ボンドの薬品臭に、私はありえたはずの可能性を思わずにはいられないのです。