もりすの巣

そこにすべてのことが書かれています

上位互換

あの頃なりたいと思っていた自分に、私はまだ手が届かない。背も伸びたし、それなりに経験も積んだはずなのに、まだ何か足りない。

諦めなよと賢い私は諭すけど、愚かな私は諦めんなよと励ましてくる。

私は天狗になりたかった。いや、なりたい。今もなお。


私が幼少期を過ごした地域では、お祭りが盛んでした。年に三回は祭りが催され、男たちはオールシーズン準備に明け暮れ、女子供も練習に駆り出されていました。

祭りのおよそ一ヶ月前から、町内の若者が公民館に集まって夜な夜な芸を磨く。私は嫌々ながらも弟を引き連れて真面目に毎晩参加していました。練習後に振る舞われるジュースを目当てに。

何が嫌かって、男と女で役割が違うことです。男の子は木の槍を手に獅子と勇敢に戦う天狗になれるのに、女の子はお囃子係。和太鼓を積んだ台車の近くで、ひょろひょろと横笛を吹くだけ。

いくら華麗な槍さばきを披露しても、私は天狗の仲間に入れてもらえない。ジェンダー問題が取り沙汰される昨今でも、おそらく状況は変わっていないでしょう。最後に参加したのは中一なので、もしかしたら革命が起きて、女天狗が猛威を振るっているかもしれませんが。


そんなわけで私は不本意ながらも、横笛の練習に励みました。公民館入り口の石段に腰掛けて、西遊記の孫悟空のように槍を回す青少年たちを不機嫌に眺めながら、ひゅーるひゅーるひゅーと陽気な楽を奏でていました。

毎年同じ曲を吹いているのだから、もはや練習するまでもありません。音はラジカセからも流れてるし、他にもお囃子は何人かいるので、練習の後半ともなると私は、休憩してる子の槍を借りて獅子との戦いに馳せ参じていました。

公民館前の道路の真ん中、二階の窓枠や向かいの民家に無理やり取り付けたスポットライトの下、私は片足立ちで飛び跳ね、獅子の鼻先に槍を突きつけ、大立ち回りを演じていました。

なのに、どんなに汗水流して練習しても、本番で天狗の煌びやかな衣装に身を包めるのは男の子だけ。足袋をはいて、山伏姿で、立派な赤鼻の天狗のお面をかぶって。

町内のロゴがプリントされた半纏を無地の黒Tシャツの上に羽織って、笛を吹きながら練り歩くだけの祭り本番が、私はあまり好きではありませんでした。さっさと友達と合流して、屋台を見て回ることばかり考えていました。


そんな経験を経たせいか私は、横笛というものを軽んじるようになりました。あんなものは誰でも吹ける。地元の女の子にとっては必修スキルだ。できて当然。

天狗になれないまま大人になった私は、触ったこともないフルートの演奏を成り行きで安請け合いし、横笛なら楽勝でしょ、というなけなしの自信すら打ち砕かれてしまう羽目になりました。

そうです。私は天狗になっていたのです。

フルート? ふーん、貸してみ?

ふひゅー。

見事に鼻っ柱はへし折れましたが、赤面した私はあのとき限りなく天狗に近い存在だったはずです。フルートはこう使うんだよ、と鍛えた槍さばきを披露しながら、風に乗って飛び去ってしまえたらよかったのに。